大昔、日本人は何人いたかわかる

今井米屋

2015年08月22日 14:28

朝晩少し気温が下がりチョット楽になりましたね。
朝、顔を洗う水の温度が冷たく感じられます。

先日、お客様とどういう話の流れでこの話になったのかは忘れてしまいましたが「大昔、日本人は何人いたかわかる」と聞かれました。

うーん少ないのは想像できますが50万人位ですかと言うと答えは約2万人だそうです。そんなに少ないとは意外でした。

気になって「人口から読む日本の歴史」を少しづつ読み始めました。

縄文早期2万人、縄文中期には26万人。

縄文中期は日本の稲作が始まったと言われる時代です。しかし生活の基本は狩猟、採集経済(動物や植物や海の物、川の物を食べていたのではないでしょうか)で農耕はまだまだ補助的なものだったようです。

縄文時代の終わりになると雑穀とサトイモ、ヤマイモの栽培が中心でした。その頃の人口は16万人。

人口が減ったのは、寒冷化で暖温帯落葉樹林が減って食べ物が少なくなったのと、栄養不足になった東日本人に大陸からの人口流入に伴う疾病がはやり日本の人口は大きく減少したようです。

そして弥生時代には59万人と一気に増加します。それは大陸からの渡来人によってイネの栽培が広まったことと、以前から農耕が行われていたことが水田耕作が広まった理由だそうです。


北九州に成立した弥生文化は紀元前100年頃までに西日本一帯をおおい、1世紀には東北南部、そして3世紀には北海道を除く日本列島のほぼ全域に広がりました。

稲作が始まり人口を増加させた訳は2つあります。

1つは稲作の高生産性がたくさんの人を食べさせることができたこと。

2つ目は水田耕作が多くの労働力を必要としたこと、そして用水など灌漑施設が備えられるようになるといっそうの人口増加を生みました、お米パワーですね。

人口増加に大きく貢献したお米、現在はお米の品種改良が進み収量だけではなく美味しいお米がたくさん出ています。

今年も新米の便りが届き始めています。食欲の秋はもうすぐそこ、美味しいお米をたくさん食べてくださいね!


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