六所さんつながり

今井米屋

2016年06月10日 09:14

先月、豊田の六所神社を訪れ趣のある舞台を見てきました。以前ブログにも書きました。


六所神社のある一帯は松平郷といい松平氏(徳川氏)発祥の地です。

なぜ松平氏や松平氏の他にも平野じゃなくて山間に栄えたのか、ふっと疑問を持ちました。平野部の方が作物は豊富にとれるし住みやすいと思い込んでいました。山間は不便な所だとも。

コラムニストの小野宗芳氏に聞く機会が有り伺うと「理由の一つとして当時は平野は水害に見舞われ、川の流れが変わる事がある。したっがて山間は水害の心配がないことが挙げられる。」とのことでした。

当時は、山間に住む方が綺麗な水があり、食べ物や燃料も労働と助け合うことで手に入り生きやすかったようです。

江戸時代に入り全国各地で治水工事が行われました。それまでは河口付近は水害で水浸しになってしまうので農地として利用するのはむずかしく水田は少し高いところに作られていました。

治水工事により一挙に耕地が増えました。私が平野部の方が住みやすいと思っていたのは江戸時代に治水と流通が整備され初めて都市化が可能になり平野部の江戸、名古屋、大阪等の都市が栄えたんですね。

この河川改修工事を全国に広げたのは徳川家康でした。

岡崎の六所神社は家康公の産土神であり、六所さんつながりで家康公の偉大さを再認識しました。

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